英語を聴くだけで上達:聞き流すだけにはどれだけ効果があるのだろうか

(DEEY─)「聴くだけでペラペラになる秘密をお教えします─」的な教材。ひと昔前によく広告を目にしました。いやじつだいぶ昔から結構ありました。朗読CDの教材。
最近耳にしなくなったのは「ネットの普及によってバラされてしまった」から?
さて果たして意味があるのか?ないのか?今回は
・英語の聞き流し
・ながら聞き
について。朝起きて英語ニュース。通勤時にはスマホでオーディオブック。昼休みポッドキャスト。寝るときにも米ドラマDVD・・・
「せっかくのスキマ時間だし。やらないよりはマシ」
「・・・」
1)ダイエット商法と聞き流し商法
「飲むだけダイエット」と「聞くだけ英会話」は昔から「楽して結果得る得る」の二大双璧。
ダイエットに関しては食べなければいいだけで、その前に食べることだけに幸せを感じる生き方に問題がある。基本何もしなければ痩せる。
比べると英語は若干質が違う。少しずうずうしい。「何もしないで」英語が身に付くかもと考えるのだから。
まあでもベクトルは逆方向だけど両者は似てる。ダイエットは「脳の欲求」との戦い。英語は「脳の拒否」との戦いだ。
脳が「食べたい」を我慢しないと痩せないし、脳が「しんどいからいや」というアウトプットをしないと英語は身につかない。どっちも脳の一部の要求に前頭葉が負けている状態。
だけど
「家にいて何か手元作業をしながらせっかくだから」
「通勤通学時間でスマホ見てるよりましだから」
というのは気持ち的にはわかる。せっかく耳が空いてるなら、時間を使って何かできないか考えてリスニングの時間に当てようとは思う。
でもこの「ながら聞き」という状態は想像以上に非効率(無意味ではない)で、それでも何とか成果を絞れないかを考えたい。
結論は見えてる気がするけど、最大限を得るとどの程度なのか?
2)言語ではなくなる「聞き流し」
「聞き流し」を辞書で調べれば「音は聞こえていても内容は気にかけない」と書いてある。英語だと─
overhear : hear (someone or something) without meaning to or without the knowledge of the speaker.
英語の定義にあるように listen 「聞く」とは書いてない。hear 「聞こえる」と書いてある。要は「聞き流し」とは聞く気のない態度であって、耳淋しいときに音を出す程度の認識だ。
たまたまそれが母国語なら「言語」として認識するタイミングもあるかもね、ということであり外国語であれば知らない音は言語以前に「単なる音」で脳の言語処理部分には引っかからずに抜けていく。
例えば夜寝るときに『フルハウスの』DVDを「聞き流し」ながら寝る行為はどうだろう。
意味ある派としては「寝る直前まではちゃんと聞いていたていた」ということだろう。時間の有効活用になっている。
個人的な反対意見としては、「聞き取れた部分だけ言語処理されているだけでは?」と考える。聞き取れないところは雑音のまま。しかも即時レビューができない。まあこれは次の日やればいいけど。
それでも「音」としては脳は認識しているので、音声的に言語特有の音素やリズム、音感に「慣れる」ことはできるかもしれない。
ただそれも個人的に『フルハウスの』DVDを聞き流した人間として感想を言えば「あやしい」。でも人から発音や抑揚は褒められるので完全否定もしない。
ということで「聞き流し」そのものについては否定することになる。ただその前後におまけ的に「聞き流さない時間」が生じるので意味ゼロではない。
ちなみに世間で言う「聞き流し教材」は単に言い間違えで「ながら聞き教材」が正しい表現だと思う。
わからなければ日本語で質問OK!オンライン英会話「ワールドトーク」
3)聞く気はある「ながら聞き」
「ながら聞き」については「ラジオのながら聴き」という表現からも「何か作業をしつつところどころ音声内容を気にかけてる態度」。
聞く意思はある。音声は聞き取れていて言語として認識する意図もある。ただ重心はどっちつかずのマルチタスク脳状態。
「ながら作業」なら作業に重心があるイメージ。
でもそれが英語ラジオであれば、英語を聞き取れない人にとっては内容を気にかける以前の問題で、それらは単なる音であり「ながら聞き」ではなく鳥のさえずりを時々耳を立てて聞いているのと同じ状態だと思う。
また例えある程度英語音声が聞き取れる能力があっても、それが脳の英語回路ではなく日本語回路に流れてしまえばやはり内容は理解できない。
「ながら聞き」は相当に高度な言語処理能力をもってして可能となる能力であり、外国語学習者では難しい、という同じ結論に。
4)それでもながら聞き。おすすめ素材
けっきょく「聞き流し」でも「ながら聞き」でも学習中の外国語に関して言えば、音楽を聞くのと同じで言語回路は作動しない。
でも細切れに訪れる「集中タイム」は確実に存在するので、そこを有効活用しようという方向になる。ではどんな素材を「すき間用教材」としようか?
まず環境的に聞き取れなかった部分をすぐに確認するのが難しいだろうということ。通勤途中でも寝る際にも。自宅でのながら作業はできる。
ということで一度学習した素材がいいと思う。すでにおおよそ音声は聞き取れているし内容も理解している。復習に充てようという算段。
復習は心理的にもしんどくて気が進まないことも多い。「ながら聞き」はむしろちょうどいいかもしれない。
その際の素材候補がいくつかあるのであれば「飽きずにやれるのはどれだろう?」と考えて選ぶのがいいと思う。例えば直前やったのよりはもう少し前にやったやつの方がまだ新鮮かもしれない。
既に一周視聴しているので内容鮮度もなく脳は飽きてるし、外でやるので集中できずに意識が向かずに結局「聞き流し」になりがちなので。
5)英語脳と日本語脳の切り替え作業
ながら聞きの英語作業についてもうひとつ。
「英語をながら聞きしている時、もう一方の作業は何語で思考していますか?」
だいたいは日本語だと思う。双方の作業が日本語であれば日本語脳回路のまま。だけど片方英語だとすると、英語と日本語を切り替えながら。
でもこれ意外と日本語作業-日本語作業の方が互いの思考に影響しがち。つまり邪魔に聞こえる。
例えば日本のYouTubeを見ながら『CNNEE』を読んでいるという状況。英語に集中すると日本語の音声は案外気にならなくなる。
ただ和訳とか英訳とか日本語を介在し始めると途端にYouTubeの日本語が気になりはじめる。
英語回路と日本語回路は脳では別々の領域部分が多いんだろうなと感じる場面。
6)何回も聞き流して炙り出す作戦
「ながら聞き」のやり方について、例えば文脈理解はさておき単語くらいは聞き取ろう作戦もありかと。洋楽の歌詞を聞き取る練習的な感じ。
1)少なくとも半分以上は聞き取れそうなリスニング素材を用意する
2)それを「ながら聞き」する
3)あまり意味や文脈理解にはこだわらない
4)音楽のように何十回でも繰り返します
5)どうしても聞き取れない「音」が炙り出す
6)字幕で確認する
英語の音素、コロケーション、リズムを体得しようという試みで、全単語が判明したら文章理解の時間を別で設ける。
英語脳がないので英語はほとんど喋れないのに、発音だけはやたら褒められるようになるかもしれない(自分のこと)。
それと答え合わせが必要なのでどんな素材でもいいけど、必ず字幕のある(答え合わせができる)ものにする。わからないまま放置は非効率なので。
(2025年7月更新)
(以上2021年3月)